ギフテッド報道において、
物語を最も安定させている装置の一つが「専門家コメント」である。
大学教授、医師、心理職、研究者――
肩書きが添えられたその一言は、
記事や番組全体に科学性と正当性の印象を与える。
だが、その多くは
「検証」ではなく、物語を閉じるための装置として使われている。
1. 専門家は「議論を開くため」ではなく「終わらせるため」に呼ばれる
本来、専門家の役割は
定義の曖昧さや論点の対立、未解決の部分を提示することにある。
しかし実際のメディアでは違う。
- 「専門家も認めている」
- 「科学的に裏付けられている」
という一言で、
それ以上の疑問や反論を打ち切る役割を担わされる。
ここで重要なのは、
専門家が語った内容そのものよりも、
「専門家が出てきた」という事実が機能している点だ。
その瞬間、視聴者にとってこの話題は
「もう決着がついたもの」になる。
2. 専門家コメントは「前提」を検証しない
ギフテッド報道で呼ばれる専門家の多くは、
次の前提を疑わない。
- ギフテッドという枠組みは妥当である
- 社会不適合は才能の裏返しである
- 支援すべき対象として一括りにできる
つまり、
メディアが設定した物語の土台に立ったまま話をする。
「そもそもその定義は誰が決めたのか」
「線引きはどこにあるのか」
「誤認による弊害はないのか」
こうした問いは、
最初から議題に含まれていない。
専門家コメントは、
物語を検証するためではなく、
物語を“もっともらしく見せるため”に配置される。
3. 異論を唱える専門家は、最初から呼ばれない
「専門家の意見が一致している」ように見えるのは、
合意があるからではない。
合意しない専門家が、最初から排除されているだけだ。
- 定義の不安定さを指摘する研究者
- ギフテッド概念の濫用を批判する立場
- 教育制度側の問題を主因とする専門家
こうした声は、
「話がややこしくなる」「番組の趣旨に合わない」
という理由で、そもそも表に出てこない。
結果として、
視聴者が目にするのは
物語に都合のいい専門家の“部分的な意見”だけになる。
4. 専門家は「責任を取らない安全な存在」でもある
もう一つ見逃せないのは、
専門家コメントが責任を引き受けない構造にある点だ。
専門家は意見を述べるが、
- その報道が誤認を生んだか
- 誤ったラベル付けで子どもが傷ついたか
- 支援が遅れたか
といった結果に対して、
責任を問われることはほとんどない。
責任を負わない立場だからこそ、
メディアにとっては極めて使いやすい。
専門家コメントは、
誰も責任を取らずに物語を完結させるための免罪符として機能する。
5. 「専門家が言っている」は思考停止を生む
「専門家が言っているから正しい」
この構図が繰り返されることで、
視聴者は自分で考える必要を失う。
疑問を持てば、
- 「素人が何を言っているんだ」
- 「専門家を否定するのか」
といった反応が返ってくる。
こうして議論は封じられ、
問いを投げる行為そのものが
無知や攻撃性と結びつけられていく。
結論:専門家が問題なのではない
問題は、
専門家を思考停止装置として使ってきたメディアの側にある。
本来、専門知とは
問いを増やし、前提を揺さぶるためのものだ。
それを
「物語を守るための盾」として消費する限り、
ギフテッド報道は理解から遠ざかり続ける。
UNREPORTEDが疑うのは、
専門家ではない。
専門家の言葉を、疑わせない形で配置してきた構造そのものだ。

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